続・科学者であり信者である

昨日のエントリーに対して非常に真面目なコメントが多かったので、似たテーマでつれづれと考えてみました。

僕は宗教に対して否定的な気持ちは持ってないのです。聖書は道徳的かつ教育的で、文学作品として読んでも面白いし、ヒンズー教やギリシャ神話の世界観は壮大で圧倒されます。言霊の概念や太陽信仰も理解できます。ただ、ひとつの宗派に縛られて全体が見渡せなくならないように、極力ひとつの宗教に肩入れしないようにしています。

そういえば、「否定的な意味での宗教」とひとくくりにされることの多いものに「自己啓発セミナー」があります。僕個人としては、あれは悪徳セミナーの主催者が悪いのであって自己啓発じたいに悪いことはないと思っています。フランクリン・コーベイだったりナポレオン・ヒルだったりの成功哲学は、基本的には「完全に信じて行動すれば成功する」というもの。つまり「誰がやっても、しっかりと原則を守って行動すれば同じように成功できる」と、科学っぽい説明をしています。宗教の「神を信じて行動すれば魂の救済がなされる」というのも、僕が昨日書いた科学の定義も、同じと言えば同じなんですね。「成功」や「魂の救済」が曖昧だったり目に見えないものだから「科学」ではないと言われてしまうだけで。

実験心理学も最近までは科学だとは思われていませんでした。それは被験者によって異なる結果が出るので、数学や物理のような正統派の自然科学とは毛色がだいぶ違うからなんですね。20世紀になって統計手法が確立されて、ようやく科学の仲間に入れてもらえました。

科学の根源になっているものはルネ・デカルトの『方法序説』に書かれた「我考える、故に我あり (いまこの瞬間に自分について考えている自分という存在があることを自分は否定できない)」でした。その一節に、その他すべての科学的手法は頼っているんです。要するに「とりあえず間違いはなさそうだ」的なものの積み重ねで科学はできあがっているようなのです。「とりあえず間違いはなさそうだ」の考え方で物事に接すると、自分が間違っている可能性が完全に排除できないので、ひとつのことを盲信することがありません。だから科学論争をきっかけにした戦争というものが起きないのかもしれませんぞ。