記憶音

このあいだアカデミー賞授賞式がありました。Vienna Symphonic Libraryというサンプラー用データ集とHans Zimmerのことを思い出しました。Hans Zimmerは「グラディエーター」や「ライオン・キング」の音楽を作曲した人なんですが、彼がだいぶ前にキーボード・マガジンの取材に対して「私が使うオーケストラの多くはViennaの音を加工したものだ。よーく耳を澄まして聞けば本物ではないことがわかるけど、私はその偽物にしか出せない音の魅力を引き出そうとしている。本物のオーケストラでは出せないようなフレーズも作れる。それでも本物よりも本物らしい音になっているんだよ。」と答えていたのです。

本物よりも本物らしい・・・人の記憶の中に残るものというのは、本物よりも鮮やかであることが多いように思います。だから写真をあとから見返しても「あの花はもっと赤かったし、あの景色はもっと明るかった」と思うのです。現実を忠実に再現する記録装置は「記憶に残っているものを再現できていない」という理由で売れなくなってしまうのです。

だから音楽をレコーディングするときには、多少大げさな加工もします。コンプレッサーをかけ、リバーブをかけ、EQをかけます。それをライブに聞きに来た人たちにも提供するために、ライブ音楽にも各種エフェクトをかけるようになります。次作のアルバムではライブを聞いた人たちの記憶音にあわせるために前作以上のエフェクトをかけます。それを繰り返して音質を犠牲にして音圧を上げ、ほとんど限界まで来てしまった現在のレコーディング業界(たとえばつい最近聴いたものでは宇多田ヒカルの「Colors」なんて、もう割れてますよ、すごいですよ)。記憶は現在の悪い音質をも「佳い思ひ出」にしてしまうのです。1970年代の懐かしい曲だって、現在販売されているものは「リマスター版」と称して音質を下げ音圧を上げているのです。現在の過度なエフェクトをかけた音で育つ世代は、どんな記憶音のなかで老後を過ごすのでしょうか。

これ以上やったら、矩形波しか聴くものなくなっちゃうよ?