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未来から見た「失われた世紀」

今年はじめにニコンが銀塩部門を縮小し、コニカミノルタも同時期にカメラ事業からの撤退を発表しています。銀塩で残っているのはフジフィルムくらいかもしれません。人々は携帯電話でスナップ写真を撮るようになりましたし、ちょっと凝る人ならより本格的なデジタルカメラに手を出すでしょう。デジタルカメラで写真を撮り、コンピュータのハードディスクに入れて、必要であれば画像編集をして、自宅のプリンターで印刷して友人や親戚に配る・・・フィルム屋さんや写真屋さんには厳しい時代です。

家庭で撮られた写真が後世の研究者にとって貴重な資料となることがあります。一般人の当時の生活を知るための資料になるのです。50年前のフィルムが蔵から出てきて、現像したら祖父が映っていた、ということもあるかもしれません。物理的に形があるフィルムだからこそ残った、と言えるかもしれません。それがデジタルカメラだけの世界になるとどうでしょうか。西暦2100年になって、先祖が残したハードディスクやCD-Rが出てきたとして、それがそのときに読める状態になっているでしょうか。ハードディスクの中はサビだらけで磁性体が失われ、CD-Rはカビが生えアルミが剥離しているでしょう。物理媒体に書いてある文字は読めるかも(TOSHIBAとかMADE IN TAIWANとか)しれませんが、残念ながら内容は読めないだろうと僕は予想しています。情報の集積度を上げれば上げるほど、情報は失われやすくなるように思うのです。

21世紀は個人の記録が残らない時代になるのかもしれません。残る情報は技術的にしっかりしていてバックアップされていたりアーカイブされていたりする情報のみ。富裕層と政府機関あたりが保管する情報のみが残っていくのでしょう。一般庶民の生活は失われてしまうのです。