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必要以上にカタカナ

考えてみた

このところ学生の書いた文章を添削しまくっていたのですが、みなに共通しているのが、必要以上にカタカナを使いたがる傾向。原因の一端は教員にもあるので、あまり文句が言えませんが、「視聴位置」と言えば良いところを「リスニングポイント」としたり、「スペクトル中心」のことを「スペクトル・セントロイド」としたり、「残響音」のことを「リバーブ」としたりしています。僕が普段口に出してしまう「中の人」にしか通じないカタカナ語を、そのまま「外の人」向けの文書に書いているのです。また、常用漢字外の漢字を多用するのも特徴です。「嵌める」「拘わる」など、新聞には出てこないような漢字であっても、簡単に変換できてしまうのがその理由なのでしょう。分からない漢字がたびたび出てくると、読者は困ってしまいます。

僕は「自分が書けない漢字は使わない」けれど、「漢字表現がある場合はできる限り漢字を使う」ということを決めて書いています。常用漢字外に変換されるときはATOKに指摘してもらうように設定してありますし、送りがなに関しても本則のみを使います。僕の文章は前後関係の説明が省略されていたりして読みにくいという自覚はあるのですが、それ以前の問題として、漢字と外来語だけは自分の中での最低ライン。できるだけ意識しています。