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剽窃の罪をやわらかく体験する

来年度のシラバスの仕上げをしているのですが、そこに今回からacademic plagiarismの項を入れました。academic plagiarismとは「学問上の不正行為」とでも訳すのでしょうか。日本では暗黙のうちにアメリカ今年度の講義をとっていた学生が提出したレポートに、ネットからのコピペを出展を書かずに載せていたものがあり、残念ながら不可にしたからです(その学生は出席日数も足りませんでしたが)。僕が留学していた大学には大学全体での統一フォーマットがあったようで、どの講義でも第1回目には「これこれこういう行為には単位を出しません」と明記された紙が配られたものです*1

つい先日、似たようなことが小飼弾さんのブログに「レポートのコピペがダメな理由とそれを防ぐ意外な方法」と題して書かれていました。コピペがダメな理由には全同意です。レポート課題によってどんな教育効果があるかというと、そのレポートに書かれた「研究の成果」は実は副次的なもので、レポートを作る「学びの過程」を経験することが主効果なのです。その「過程」を経験することを回避・放棄するのがレポートのコピペです。せっかく用意された学びのチャンスを自ら手放してしまっています。残念。

そこで弾さんは、社会に出たときに苦しむよということだけは教えてあげて、あとは放っておけば良いと言います。結局は自分自身のためにならないのだから放置しておいてもいいではないか、確かにそういう考え方もあります。しかし、学校というのは社会に出るための準備期間だという側面もあります。社会に出てから取り返しのつかない苦しみに初めて遭遇するのではなく、あるていど保護された環境で似た苦しみを体験する場を提供しているのです。頭で考えるだけで理解できる学生もいれば、実際に体験しないと理解できない学生もいます。前者の学生はともかく後者の学生には、外で同じことをしたらどういうことになるかをやわらかく体験し、影響を理解してもらわないといけません。結局は成績書に「不可」がついても単位が出ない「だけ」です。挽回可能な形で痛みを体験してもらい、そのことから学び、そして外に出たときに受けるショックを少しでも和らげてあげたい、というように望んでいるのです。

*1:僕が働いている学校でも学生便覧などにコピペはダメですよと書いてありますが、あまり話題にはなりません。実技中心の学校だということも理由のひとつかもしれません。実技ではコピペが極めて困難なのでacademic plagiarismが重要視されないのでしょう。