研究の方針

僕の研究のテーマは「音楽用の非線形歪みを人々はどのように感じ・表現し・好むのか (Nonlinear Distortion Effect Processing for Musical Application: Perception, Cognition, and Preference)」です。それを研究する上での指針は

  • 理論の美しさよりも成果物の効果を重視する(Acoustical Society of AmericaよりAudio Engineering Societyだ)
  • 部分も大切だけど、全体はもっと大切(制約理論の影響か)
  • 奥深くよりも、幅広く考える
  • 一般人がスゲーッて思うものに応用できるほうがいい

などです。こんなこと考えながらやってます。

でも、ここに挙げたポイントはまるで、茂木健一郎が言うような「人気商売的科学」に適合する要件のようです。村上春樹だかの小説の中に「自分は百年以上前の文学しか読まん。百年間という時間によって選び抜かれ、生き残った文学こそが真の文学だ。」というような事を言う主人公の友人がいるんですが、茂木健一郎の書いた意味での「真理商売的科学のようなことが文学にも可能ではないか」というのは、そのことなんじゃないかと考えたのです。僕のやろうとしている事は、その逆で、時代にさらさらと洗われてしまうようなことなんじゃないかと。もっともっと若かった頃は「モーツァルトの音楽のように数世紀を超えても生き生きとしているモノを残したい」と思ったものです。でも自分は天才ではないことは自覚していますし、決して十分に努力しているとは思いませんが、とりあえず努力だけでここまで来ているようなものなので、そんなに時間に耐えられるものは作れそうもないな、今の時代の人々が幸せになれるくらいのものが精一杯だろう、と思いました。つくづく自分はengineer-ish scientistではなくscientist-ish engineerだなぁ、と思います。