偉くないと言えないこと?

MITのThomas W. Maloneが書いたInventing the Organizations of the 21st Centuryという文書のなかで「これまで自分たちは組織のために働いてきたが、組織を自分のために働かせるのがこれからの社会だ」と言っています。もともと組織を作るというのは、個人の利益になるから作るのであって、「組織を作れば組織をリッチにできるよ」というのが目的ではないのです。そんなあたりまえのことをMITの学者様がわざわざ言わなければならないということがどうかしているのです。

でも確かに、「その道の権威」と目される人が言うからこそ「そうだそうだ、じつは自分もそう思っていたんだ」というフォロワーが現れるのです。どこかのルンペンのオッチャンが「組織は個人のために活動せい」と叫んだところで聞く耳を持つ人があまりいないのと同じなのです。ただ、そんなオッチャンの視点も大切なので、学者とルンペンの交流(できれば熱き友情)も必要なのです。ほら、オレは現場でがんばるからオマエは偉くなれ、という「踊る大捜査線」みたいなかんじ。

みんなが気づいていることを声高に言うためには地位や信頼性も必要ということでしょうか。考えてみれば、学会発表や論文で「過去にこれこれこういうことが言われています」というところから書きはじめるのも、読者に必要な情報を提供するとともに「自分はこれだけのことを知ってるんだ」ということを見せ、その分野に関して自分の意見を言うにふさわしい人間であることを示そうとしているんですね。同じこと。

ノーム・チョムスキーのように、言語学者として有名になり、それが世界平和のために強硬に主張するということも、有名だからこそできるのですね。無名な人間がいくら世界平和を主張しても、草の根活動にしかなりません。分野が違う活動をするときも、有名になることは手段の一つ。