大学の教科書は分かりにくい

大学一年生になって基礎教養科目で数学を取ると、その教科書の出来の悪さに驚くはずです。僕は驚きましたし、周りの学生たちも教科書は読むものではなく本棚においておくものとして扱っていました。久しぶりに信号処理論の教科書を開けて読んでみたんですが、なぜこういう教科書が理解しにくいのかがちょっとだけ分かったような気がしました。

根源的な理由は「教科書を書いている人はメタなものの見方をしている」からのようです。本の著者は、書く内容について深い理解をしており、広い視点から対象を見ることができているはずです。その「広い視点から見ていること」が教科書の説明文に悪影響を与えている場合があるのです。著者は、自分が書いている文章が数ページ先でどんな結論を迎えるのかを知っていて書いています。「以上によりAはBになる。さて、ここでCについて考えてみよう。」なんて書くのも数ページ先の結論にはCが必要だからなんですね。でも、AやBとは全く無関係のCがいきなり登場してしまうと、読者は混乱するのです。

これは偉人の伝記にも通じるものがあります。伝記の作者は、偉人が何をしたのかを知っているので、伝記の内容も「この偉人はこの事を成し遂げるために生まれてきたのだ」という運命的な雰囲気に仕立て上げがちです。当の偉人さんは、手当たり次第やってみて結局モノになったのがソレだった、という人生だったのかもしれないのに、です。

さておき、教科書を書くときには結論から入りましょう。教科書を選ぶときには、各章がまず結論から書きはじめているものを選びましょう。その結論に至るまでの簡単な道筋が書かれ、それから本文が始まるようなものであれば、より読みやすいでしょう。