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学会の不文律

昨日の『ドラゴン桜』についてのエントリーで引用した言葉は「ルール」に関してでした。10巻か11巻に出てきた場面だったのですが、(模試の問題冊子表紙の注意事項を示して)試験にもルールがあり、それを守ることができる者だけが試験を採点される資格がある、ということでした。もしそのルールが気に入らないのなら、まずはルールを受け入れてヒエラルキーを上っていき、ルールを変える力を得てから自分でルールを作り直せばよい、というふうに続きます。

研究の世界にもそういったルールがあります。明文化されているものの代表的なものには「論文誌への投稿規定」があります。音響の分野ではASA(Acoustical Society of America)やAES(Audio Engineering Society)によって規定が作られていますが、投稿時に使う文字や図版の大きさ、参考文献の体裁が決められている程度で、そんなに細かいところまでは決められていません。

 僕の分野は音響心理学なので、APA(American Psychological Association)の規定も参考にしますが、こちらは細かいところまで規定を作っています。たとえば「政治的配慮」に関しては「痴呆症ではなく認知症を使う」「精神分裂ではなく認知傷害」とかがありますが、同様に「old peopleやelderlyは使ってはいけない(matureや具体的な数字を使うこと)」「性差のない単語を使用すること(waiterやwaitressの代わりにwaiting personを使うなど)」などが決められています。もちろんそういった単語の選択だけでなく、統計解析結果の報告方法なども統計手法ごとに書かれていたりします。これらのルールは投稿される論文の質を一定以上に保つために使われているのです。

さて、明文化されていないものには「プレゼンテーションの方法」があります。僕は工学、音響学、音楽学などの学会で発表したことがありますが、その三つの分野でも非常に違うアプローチをします。ひとつは「どれだけ性能が向上したのか」を数値でしっかり見せます。ひとつは動いているデモを見せます。そして用意してきた原稿の朗読です。科学と工学での「データかデモか」というのはよく聞く話で、「ちゃんと動いてるし効果はありそうだけど、客観的な数値はどうした?」あるいは「数字は分かったけど、これって使い物になるの?」という二つの派があるようです。

 それに対して音楽学では「言葉選び・論理展開」などが重視されるので、あらかじめ用意してきた原稿を朗読することが多いようです。そのため「朗読したときにうまく言葉が流れるか」というのも重要な点になるようです。工学の学会に出席してスライドを表示させずに朗読だけをすれば「論文を読めば分かることをなぜ発表しに来たんだ?」となりますし、音楽学の学会でスライドを元にデータを説明すれば「美しさが感じられない」ということになります。発表内容がどれだけ良いものであっても、型が違うので相手にされないのです。

また、学会やセッションごとに「うちはここからここまで」という領域があるていど決まっています。それを無視して、たとえば音響心理学のセッションで音に関係ない実験心理学の発表をする人もいるんですが、そういう人はシンポジウムやワークショップには呼ばれません。

 研究の世界も中学生の仲良しグループも一緒なのです。それぞれのグループに不文律があって、それを破る人は仲間はずれにされるのです。たとえば現代統計の礎を気づいたフィッシャーも、ピアソン率いる仲良しグループのしゃくに障ることをやって仲間はずれにされたので、有名論文誌にはなかなか発表できなかったのです。

 研究の新規性は大切ですが、あまりに斬新なことをやりすぎると仲間はずれにされる危険が出てきます。身分不相応な大発見も相手にされないことがあるようです。逆に王道を進むのは安全ですが、競争が激しいことが往々にしてあります。研究内容に応じて発表する学会を選び、発表の仕方を学会にあわせて変えたり、微妙なバランス感覚が要求されるのです。